
関東地方では3月12日夜に降った雨の影響で、13日朝から濃い霧が発生しました。
霧は、暖かい空気に含まれている水蒸気が、気温低下によって水蒸気を含むことが出来なくなったことにより発生します。
故に、比較的に暖かい状態で雨が降り、朝にかけて気温が冷え込む場合、霧が発生しやすくなります。
また、風がなく、ほぼ無風状態にあることも条件の一つです。

霧(きり)の似たような用語に「靄」(もや)がありますが、水平視程が1キロ未満を霧(きり)、1キロ以上を靄(もや)と呼ぶようです。
これを鑑みると、当日の視程は明らかに1キロ未満でした。
7両編成140メートルほどの編成後部が目視できないことからも、それは明らかです。


冒頭の場所から少し移動して、萩山と小平の駅間へ。
いつもは萩山駅へ向かう下り線のS字が見通せる箇所ですが、体感で100メートルほどしか見通せないほどの視程でした。

ここまでの写真の撮影時刻は、おおむね午前6時半前後。
3月13日の日の出は5時56分ですので、そろそろ太陽の光も届き始め、あたりの様子も雰囲気が変わってきました。

太陽が昇り気温が上昇してくると、空気が水蒸気を含有できるようになるので、霧の発生条件からは遠ざかります。
陽の光が見え始めて数分、あたりは随分と霧が晴れてきました。
霧の写真は、完全に太陽が顔をのぞかせるまでの小一時間程度が多くの場合で勝負となることでしょう。

しかし、2025年3月13日朝の霧は、濃くなったり薄くなったりを繰り返しました。
晴れてきて霧が薄くなったかと思えば、ふたたび濃くなり、それを数回繰り返していたように思います。
詳しい知識もないので詳説は出来ませんが、自然現象の荘厳さを垣間見た気分になりました。

東の方角にカメラを向けると、霧に乱反射した太陽光が幻想的な風景を創り出していました。
往来する列車が、踏切を通過する前に、何度も警笛を吹鳴します。

時刻はおおむね7時半。
ようやく霧が晴れてきました。幻想的な雰囲気の中を、拝島線直通の準急列車が通過していったところで撮影はお開き。
念願かなっての、濃霧と西武線の撮影でした。

念願かなっての撮影だったのは、9年前のことが頭にあったからです。
時は遡ります、2016年3月8日の始発前。東京地方では、同様に濃霧が発生していました。
この時も、相変わらず、カメラを担いでレンズを電車に向けていました。

インターネットで長いこと活動を続けていると、何度か記録が途絶える瞬間があったりします。
私も、その例外にもれず、丁度この写真を撮影した時期は運営していたウェブサイトを一度引っ込めたタイミングでした。
「人生いろいろ」としか形容できないのですが、そうやって自分がこれまで熱を注いでいたものを引っ込めたとしても、写真を撮ることを辞める理由にはならなかったのでしょう。
この時期にこういう写真がある、その事実だけで色々思い出してしまいました。

ところ変わって保谷電留線。
時刻は午前4時前になりました。
始発に備えて列車に明かりが灯されはじめています。

濃霧を期待してカメラを構えたものの、始発列車が出る前に、だいぶ霧は晴れてきてしまいました。
日の出までは、あと2時間強。
走行写真が撮影できる時間の頃には、おそらく霧は残らないのが素人目にも理解できてしまったのでしょう。
始発前の撮影を持って、早々に撮影を切り上げています。

濃霧と列車の写真というと、これまでに撮影したことはなく、意気揚々と出かけた2016年の頃。
次に巡り合えたのが9年後の2025年。こうしてしみじみ振り返る9年前。まさか当時想像もしていなかった9年後。
このとき、しっかりと悔しい思いを抱えながら、2025年まで続けてこれました。
9年越しだった濃霧と西武線の写真。正に、霧が晴れるような思い入れのある記録として、いつまで自分の中に残ってくれるでしょうか。

ちなみに、2016年は、撮影後に早朝のファミレスで一人ウダウダしていたようです。

2025年は松屋でした。
相変わらずの昼夜逆転だけはブレないものだなと、感心しつつ。
波は当然あるのですが、自分の好きな趣味は、長く続けてみるものだなと思った次第です。
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