西武国分寺線では、2025年5月31日(土)から新型車両8000系の運行が始まる予定です。これにより、約40年間にわたって続いてきた「黄色一色」の体制が崩れることになります。
同路線では、1980年代まで「赤電」と呼ばれる旧型車両が運行されていましたが、これらは1980年代中頃までにすべて引退しました。その後は701系・401系・101系・2000系など、西武鉄道を象徴する黄色の車両に置き換えられ、以降現在まで、すべての定期営業列車が黄色い塗装の編成で運用されています。
試運転列車や臨時列車、突発的な代走などを除けば、直近10年ほどの国分寺線は2000系と新2000系で運用されており、形式の変化も見られませんでした。
今回導入される8000系電車は、小田急電鉄から譲受した車両をもとに再整備された「サステナ車両」の第1号として国分寺線に投入されます。塗装や外観デザインにも大きな変更があり、路線全体の景観や印象に変化をもたらすことが予想されます。

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国分寺線における車両の変遷(2003年以降)

西武国分寺線では、1980年代以降、黄色い電車が営業運行を担ってきました。
この記事では、撮影資料の残る2003年以降に限定した、同路線での車両運用の覚え書きを紹介しています。
(ソースは、あくまでも当時の自分の記憶とネット上の記録を参考にしています。その点はご容赦ください)

~2004年【6連101系撤退と復活の175F/191F】

- ~2004年3月の使用形式:101系6連、新101系2連-4連、2000系6連、新2000系6連
- 2004年4月以降の使用形式:新101系2連-4連、2000系6連、新2000系6連
- 2004年8月以降の使用形式:101系4連-新101系2連、新101系2連‐4連、2000系6連、新2000系6連
国分寺線の話題を扱う上で、いちばん印象的な編成は101系低運車の6両編成です。
最後まで残った101系低運車の6両編成はラストナンバーの215Fでした。引退は2004年3月。215Fの引退を持って新宿線系統の本線101系は一旦消滅となりました。
それまでの国分寺線というと、101系6連がほぼ専属のような印象がありました。新101系の2-4編成も運用に就いていましたが、頻度は高くなかったと記憶しています。

新宿線系統の101系低運車は2004年3月に一旦姿を消しましたが、2004年8月に池袋線から175Fと191F(共に4連)が新宿線に転属となり、低運顔が復活しました。12月に引退するまでの約4か月、国分寺線での運用に就く場面も見られました。
2005年【本線101系低運車の引退後】

- 2005年頃の使用形式:新101系2連-4連、2000系6連、新2000系6連
2004年までに本線系統で走行していた低運101系が廃車され、2005年以降の国分寺線は新101系や2000系、新2000系で運行されるようになります。
この頃は最後まで残った未更新2000系が活躍をしていた時期であり、30000系スマイルトレインもデビューする前の頃。
本線系統でも大量の黄色い電車が走行しており、「黄色い電車が絶対に来る」という事実に、特別感は全くありませんでした。
2010年【新101系撤退と6連短縮3000系登場】

- 2010年3月頃の使用形式:新101系2連-4連、2000系6連、新2000系6連
- 2010年9月頃の使用形式:3000系6連、2000系6連、新2000系6連
2010年頃になると、新101系が他社へ次々と譲渡されていき、編成数は目減りしていきました。
これにより、2010年を持って新101系が国分寺線での運用を終了します。長く続いた抵抗制御の101系列が、国分寺線から撤退する運びとなりました。

気になるのは新101系の代替となる編成です。
2008年デビューの30000系は当初6連の製造が予定されており、国分寺線にも投入される予定だったことが予想されます。
しかし、今日に至るまで6両編成の30000系は製造されていません。

代わりに国分寺線に導入されたのは、3000系でした。
本線を8両で走っていた3005Fと3007Fが、中間2両を抜き取って6両となり、国分寺線での営業を始めます。
国分寺線にとって久しぶりの新形式となりましたが、「本線のお古」という構図は、サステナ車両の先駆けであったようにも映ります。
2014年【3000系撤退】

- 2014年12月頃までの使用形式:3000系6連、2000系6連、新2000系6連
2010年から国分寺線で走行を開始した3000系2編成でしたが、その活躍も長くは続きませんでした。
2014年の年末までに両編成は運用を離脱し、国分寺線は2000系と新2000系で運行されるようになります。
3000系減少分の運用は、2000系列を本線から国分寺線用に回すことで補っていました。

ちなみに、この頃は拝島・西武遊園地行きの分割運用が残っており、本線で2000系の6両編成が必要でした。(拝島行き6両と西武遊園地行き4両の分割に対応した2000系が、運用上複数必要なため)
しかし、この分割運用も2012年6月で終了。ひと足先に無くなった分割運用の後を追うように、2013年3月の改正を持って併合運用も終了。これを持って、本線系統の運用を貫通編成で置き換えて、6両編成を国分寺線に回していた印象があります。
2015年【2000系オンリー開始】

- 2015年頃の使用形式:2000系2連-新2000系4連、2000系6連、新2000系6連
2015年から2000系の廃車も開始されていましたが、それでも国分寺線の所要本数と比較すれば大きな影響はなかったように思います。

この頃は、よく国分寺線に2連-4連が入っていた印象もあります。

2019年【出庫の車両基地を変更】

2019年、東村山駅の高架化工事の進捗に伴って、大踏切の北方にあった渡り線の使用を終了することとなりました。
これにより、国分寺線の編成は、出庫先が南入曽から玉川上水へ変更となりました。
使用車両に変更はないものの、従来とは編成が逆向きになっており、東村山方が奇数クハ、国分寺方に偶数クハが向くようになりました。
特に特徴的だったのが前パン編成による運用で、それまでは国分寺方だった前パンが、東村山方にくるようになりました。
渡り線の使用終了に伴い、本川越まで直通する運用も一旦休止となりました。
2023年【再びの短縮編成を導入】

- 2023年10月以降の使用形式:新2000系6連
2023年からは新2000系8両編成リニューアル編成を対象に、6両へ短編成化が行われました。
6連へ短縮した編成が国分寺線へ導入されるのは3000系に続き2例目となりました。
また、2015年から始まった2000系6連の廃車も、2023年10月の2031F引退をもって全廃が完了。
国分寺線での営業列車は、新2000系6両編成で運用されることが殆どとなりました。(代走で2000系2連-新2000系4連の6両編成が入ることも極稀にあり)
2025年~【サステナ車両8000系導入】

- 2025年5月以降の使用形式:新2000系6連、8000系6連
ここ15年ほど、本線のお古を短編成化するなどして使用する車両をやりくりしてきた西武国分寺線。
それにも、いよいよ終焉が見え始めました。
小田急電鉄より、サステナ車両として8000形を譲受し、西武8000系としてリニューアル。
既存の新2000系を2030年頃までに置き換えることが発表されました。

サステナ車両、西武8000系のデビューは2025年5月31日。
これにより、約40年に渡り黄色い電車のみが活躍してきた国分寺線に、新たな色の電車が走りはじめます。
まとめ「黄色一色」の時代に終止符が打たれる国分寺線

西武国分寺線では、1980年代に赤電が姿を消して以降、約40年にわたり黄色い車両だけで定期運用が続けられてきました。
2000年代以降は、その殆どが101系、2000系・新2000系に集約され、形式や色に大きな変化のないまま現在まで運行が続けられてきました。しかし、2025年5月の8000系導入により、その均質性は大きく崩れることになります。

本記事では、2003年以降の車両運用の変遷を、記録と記憶に基づいて整理しました。
小規模な路線ゆえに、見落とされがちだった変化の積み重ねを再確認する一助となれば幸いです。
今後も、国分寺線の変化を静かに見届けていきたいと思います。

本記事では国分寺線に絞って変遷を追いましたが、他の路線や形式に関する記録も公開しています。
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