横瀬車両基地で保存されている1224号車の歴史を振り返ります
クハの向きが逆になっているのは何故なのか?編成を組んでいた頃はどのような姿だったのか?
晩年の姿(2007年以降→2010年引退)を中心に紹介してまいります
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こんにちは。
西武専門の鉄道マニアです。
趣味:西武線の写真をブログにまとめること
西武101系クハ1224の概要
クハ1224、及び、101系(低運車)の概要を紹介します。
- クハ1224は、横瀬車両基地(西武秩父線横瀬駅に隣接)で保存される西武101系低運車の先頭車両(Tc2・偶数クハ)です。
クハ1224は、西武101系と呼ばれるグループ(系列)に属しています。
西武101系には、大きく2つのグループがあり、「低運車」(旧101系)と「高運車」(新101系)に大別されます。
低運車、旧101系は、1969年の西武秩父線開業とほぼ同時に登場。
おおむね「101系(ひゃくいちけい)」「いちまるいち」「旧101系(きゅうひゃくいちけい)」「低運(ていうん)」などと呼ばれることが多い印象です。
私は「ていうん」「いちまるいち」と呼んでいます
1979年に登場した高運転台の新101系は、そのまま「新101系(しんひゃくいちけい)」と呼ばれることが多い印象。
「高運車」と紹介しましたが、この呼び名は殆ど聞かれません。
私は「しんひゃくいち」と呼ぶことが殆どです
また、これら101系・新101系の車両を総称し「ひゃく」と呼ばれることも。
編成の呼称方法含め、さまざまなローカルルールがあることは、入り組んだ歴史を持つ西武鉄道の複雑さと、どこか重なって見えるものです。
101系低運車の概要
101系低運車は、1969年の西武秩父線開通に合わせて登場した車両。4両50本、6両13本が製造され、池袋線・新宿線系統で活躍しました。
車両デザインは先に登場していた701系や801系に酷似しており、これらを見分けるためには幾つかのポイントが存在します。
(雨どい、先頭車屋根塗分け、側面窓、メーターカウルの幅、M車のパンタ位置など)
101系の特徴は運転席の5連メーターではないでしょうか。
701系・801系は4連なのに対して、101系では5連となっており、カウル幅が広くなっています。
特に、晩年の801系と、101系黄色1色化完了後(1999年~)の姿は酷似しており、これらを識別するには慣れが必要と感じます。
このカウル幅の広い5連メーターは、ワンマン化後も引き続き使用されていました。
なお、本線用の101系では山岳路線に対応した抑速機能を備えており、左手操作のマスコンを反時計回りに回すことで、これを機能させることができました。
※ワンマン化後はマスコンがデッドマン対応のものに交換され、抑速が使用不可となりました。
低運101系ワンマン車の概要
1996年4月の多摩川線ワンマン化に伴い、当時は池袋線所属だった217F・219F・221F・223F・225F(4連5本)にワンマン対応改造が実施されます。
外観では、電気連結器の撤去が大きく目立つこととなりました。(先に触れたマスコンの交換・抑速機能停止なども同時に実施)
1998年11月には、多摩湖線(国分寺~萩山)もワンマン運転を開始。
こちらは新101系の257F~261F(4連3本)がワンマン化されています。
以降、ワンマン車は多摩川線4本・多摩湖線4本の体制が長く続きました。
※101系低運車4連5本と、新101系4連3本
※多摩川線運用は4本、残り1本は本線系統予備。(多摩湖線)
西武101系低運ワンマン車 方向幕対照表
1 武蔵境
2 多摩
3 白糸台
4 回送
5 是政
6 武蔵境⇔是政
7 回送
8 武蔵境⇔多磨
9 武蔵境⇔白糸台
10 回送
11 小平
12 西武遊園地
13 国分寺
14 萩山
15 回送
16 国分寺⇔萩山
17 国分寺⇔一橋学園
18 国分寺⇔西武遊園地
19 小平⇔西武遊園地
20 (空白)
21 国分寺
22 国分寺⇔東村山
23 東村山
24 回送
25 東村山⇔西武園
26 西武園
27 (空白)
28 試運転
29 臨時
30 (空白)
※横瀬のクハ1224も、この方向幕を装備
低運101系223Fの概要
1976年8月、西武所沢工場にて新製冷房車として4両編成で竣工。
(クハ1223-モハ223-モハ224-クハ1224)
ワンマン対応改造までは、主に池袋線で営業運行。
1996年4月の多摩川線ワンマン化に伴い、改造工事を実施。
1997年8月、ツートンから黄色一色に塗装変更。
2003年3月8日の、多摩川線甲種輸送(定期的な車両交換)で、多摩湖線→多摩川線へ回送。以来、中央線高架化に伴う甲種輸送見合わせにより、多摩川線で概ね7年ほど運用。
2010年、多摩川線甲種再開。4本あった低運車の置き換えも同時に行われ、223Fは最後まで残る低運車となった。(西武鉄道最後の101系低運車)
多摩川線引退後は、先頭車クハ1224が横瀬車両基地で静態保存。
低運101系223Fとクハ1224の動静を時系列で追ってみた
手元の記録をもとに、223Fの現役時代晩年(2007年以降)から静態保存までの動きを振り返ります。
2007.12.16 西武多摩川線90周年ヘッドマーク取付
西武多摩川線は、2007年に開通90周年を迎えており、これを記念したヘッドマークが取り付けられました。
編成ごとに異なるデザインのヘッドマークを装着しており、バリエーションを楽しむことが出来ました。
この頃は、中央線高架化に伴い甲種輸送を見合わせており、低運が多摩川線で最後の活躍を見せているときでした。
2010.11.9 西武多摩川線での営業運行終了
2010年3月の多摩川線甲種再開後は、線内に閉じ込められていた低運101系4本が順次置き換えられました。(217F~223F)
217F→219F→221Fの順で車両の置き換えは進み、最後まで残った223Fも2010年11月に引退することが発表されました。
223Fの引退は、2010年11月9日と発表され、11月3日から引退当日まではヘッドマークが取り付けられました。
武蔵境方には「ありがとう黄色い電車 西武多摩川線」
是政方には「さよなら黄色い電車 西武多摩川線」
と、それぞれ表記されています。
引退に際しては「黄色い電車」の引退、と記載されたことも特筆されます。
代わりに入ってくる電車は新101系のワンマン車でしたので、「101系の引退」とも言いづらい、そんな思いが見て取れる文言でした。
思い返してみれば、この時代の多摩川線は白い新101系ワンマン車が次々に導入されていました。
このため、低運101系を「黄色い電車」と呼称するのは、当時としては分かりやすい表現でした。
2010.11.13~ 西武多摩川線から甲種輸送で小手指・南入曽へ
2010年11月9日に最後の運行を終えた低運101系。
4日後には本線に向けた甲種輸送が設定されていました。
11月13日の終電後、最後の101系低運車が多摩川線を離れようとします。
引退時に取り付けられていたヘッドマークは、両端とも取り外されていました。
11月14日、JR線で八王子と新秋津を経由、西武線内は263Fの牽引で小手指に到着しました。
夜間には、小手指から南入曽への不定期回送が運転されています。
当時の多摩川線甲種の仕立て作業等は、南入曽車両基地で行うのが通例でした。
翌11月15日、南入曽車両基地で甲種仕様を解いた223Fは、ふたたび夜間の不定期回送で小手指に向かいます。
小手指へ到着した223Fは車両基地のピット内へ入る姿が見えました。
一連の長旅を終えた223Fが無事に小手指に入庫した姿です。
(白糸台→武蔵境→八王子→新秋津→小手指→南入曽→小手指)
このあと、しばらくは小手指車両基地で留置されることになります。
2010.12.6 小手指発着の方向転換回送を運転
本線へ帰還して約3週間、小手指で動きの見えなかった223Fでしたが、保存に向けた方向転換(方転)回送が運転されました。
小手指を出発した223Fは、所沢から新宿線に入り小平へ。
小平からは折り返して拝島線に入り小川まで走り、折り返して国分寺線へ入り東村山から所沢へ。
そして、所沢で再び折り返して池袋線下りに入り、小手指へ入庫しました。
一連の回送は方向転換を行うルートであり、編成の向きが逆転しています。
この方転回送が運転された理由は、保存に際して以下のような2つの条件が絡んでいるものと思われます。
101系の先頭車を保存することが決定
→候補はクハ1223とクハ1224
条件1:妻面に貫通扉のある車両を保存したい
- クハ1223→貫通扉ナシ
- クハ1224→貫通扉アリ
条件2:既存の保存車と顔の向きを揃えたい(横瀬基準で飯能方に顔)
- クハ1223→揃っている
- クハ1224→逆向きになってしまう
このように、2つの条件を満たせないことがネックだったのでしょう。
101系の奇数クハには貫通扉が設置されておらず、隣り合うモハに扉が設置されています。
貫通扉のあるクハ1224を保存し、なおかつ既存の保存車と顔の向きを揃えるためには、回送を運転して方向転換をする以外になかったのでしょう。
2010.12.7 小手指発横瀬行きの廃車回送
方向転換を終えた日の翌朝、小手指発の横瀬行き回送電車が運転されました。
編成の向きが逆転したその姿は、801系にも見えます。
偶数クハを先頭に小手指から下りへ進出する姿は、時間を経た今も違和感を覚えます。
2011.2.3 クハ1223の廃車後の姿
横瀬行きの回送から約2か月後。
223Fの内3両が、解体業者の元に送られました。(クハ1223-モハ223-モハ224)
前述の通り、クハ1224は保存前提で横瀬へ回送されており、編成内の3両と1両で命運が分かれる格好となりました。
2011.10.2 クハ1224保存後、初の一般公開
廃車回送から約10カ月、横瀬の車両基地公開イベントでクハ1224が展示されました。
サプライズとなったのはツートンカラーの復活であり、施工は横瀬車両基地内で行ったものと見られます。
1996年のワンマン改造以来、支線区の各停運用を走りつづけてきた223Fでしたが、初お披露目のイベントでは「奥武蔵」ヘッドマークを掲出しました。
ツートンカラーによる奥武蔵ヘッドマーク掲出は、当時の姿を彷彿とさせる非常に唸らされる姿です。
2014.2.14 豪雪により、横瀬の建屋が崩壊→クハ1224も被災
”平成26年の大雪”ともよばれる2014年2月の降雪では、2月7日と、14日に、2回の大雪がありました。
この内、横瀬の建屋が被害を受けたのは、2月14日から降った2回目の降雪です。
※一度目の大雪後の2月11日、横瀬の建屋は原型を留めていました。
この建屋崩落に伴い、保存車両にも被害が出ました。
クハ1224はクーラーとベンチレーターが破損し、雨どいなどにへこみが見られます。
これらの被害は、2022年時点では修復されていません。
このため、横瀬車両基地の公開イベントでは、少々痛々しい姿で展示されています。
クハ1224についてまとめてみた感想
横瀬に保存される101系、クハ1224の来歴について書きました。
- クハ1224は多摩川線で最後の101系(黄色い電車)として活躍した編成だった
- 保存の際に、貫通扉の有無と顔の向きから、方向転換して横瀬に回送された
- 2014年の大雪では横瀬の建屋が崩落し、クハ1224も一部箇所が破損するなど被害が出た
ということが分かりました。
横瀬で保存されるクハ1224ですが、このような来歴を知ると、より興味を持って車両に接することが出来るのではないでしょうか。
個人的にも低運101系は非常に思い入れがあるので、末永く保存をしてもらえると嬉しく思います
\横瀬車両基地のイベントはこんな感じです/