2021年10月19日、埼玉西武ライオンズの松坂投手が最終登板を迎えました。
これに伴い、同日の西武球場前駅では各種イベントが実施され、大いに賑わう様子が見られました。
松坂大輔投手、最終登板に伴う西武球場前駅イベントの様子 : Rail Log 50番台(西武鉄道雑記ブログ)
2021年10月19日、埼玉西武ライオンズの選手である松坂大輔投手の最終登板試合がメットライフドームで行われました。これに伴い、西武鉄道では引退を記念した各種イベントを西武球場前駅で開催しました。
当日の様子は雑記ブログで紹介した通りでございますが、こちらでは、2004年に運転されたラッピング電車の様子を紹介します。
ライオンズ応援電車と銘打たれたラッピングの20000系電車は、一体どのような様子だったのでしょうか。
過日の西武電車と松坂大輔投手、その双方を織り交ぜて2004年当時を振り返ります。
2004年の西武ライオンズと「西武ライオンズ応援電車」
2004年のプロ野球パリーグ公式戦開幕日は3月27日でした。
この年の西武ライオンズは、前年までの伊原監督から、伊東監督に変わった1年目のシーズンであり、リーグ優勝と日本一になった年でもあります。
◇
西武電車に目を向けますと、2004年では101系低運車の本線系統撤退が大きな出来事でした。
そして、表題の「ライオンズ応援電車」が運転された年でもあります。
これは西武20000系のうち、新宿線に所属する #20101F と、池袋線に所属する #20104F が「ライオンズ応援電車」として、公式戦開幕日の2004年3月27日から2004年6月末まで運転したものです。
また、3月27日と28日は特別運転として、池袋駅と西武新宿駅の両駅からライオンズ応援電車による「西武球場前行き」を運転し、終点西武球場前駅では2本の電車が隣り合ったホームに留め置かれる演出も行われました。
電車の前面にはレオのヘッドマークを掲げ、奇数号車側面には西武ドーム(当時)の客席と、松坂選手とカブレラ選手が活躍する姿をあしらったラッピング電車でした。
偶数号車にはKIRIN社から発売された「903」(クエンサン)というドリンクの広告が展開されています。
2000年2月にデビューした西武20000系電車でしたが、車体側面にラッピングが貼付されるのはこれが初だったと記憶しています。
ライオンズ応援電車運転(04年3月24日号)※インターネットアーカイブより
グラウンドの緑色が外観のアクセントとなり、一見すると緑と青、2色の帯を巻いているようにも見えました。
2004年、ライオンズ応援電車運転初日と西武ドームの開幕戦
西武新宿駅2番ホームに停車中のライオンズ応援電車、臨時電車の20101Fを臨みます。
臨時列車として仕立てられた開幕初日と2日目は、西武新宿駅11時9分発の急行西武球場前行きとして運転され、終点西武球場前駅には11時57分に到着します。
当時の西武時刻表第18号によると、土休日デーゲームダイヤの新宿線では2本の急行西武球場前行き(7601レ・7603レ)が運転されていますが、こちらのライオンズ応援電車は、それらに追加で運転された臨時列車だった模様です。
※この2日に限っては、新宿線から3本の急行西武球場前行きが運転
※本川越~西武球場前を直通する電車は無い時代
-
2003年(平成15年)3月12日改正
土休日デーゲームダイヤ
7601レ急行西武球場前行き 西武新宿1143所沢1221西武球場前1233
7603レ急行西武球場前行き 西武新宿1200所沢1238西武球場前1247
7602レ準急西武新宿行き 西武球場前1641所沢1656西武新宿1741
7604レ普通西武新宿行き 西武球場前1722所沢1733西武新宿1829
※参考
7016レ普通ひばりヶ丘行き 西武球場前1729所沢1741ひばりヶ丘1751
車内については、戸袋広告の様子から察するに、特段に広告が統一されるようなこともなかったようです。
◇
2003年改正ダイヤでは新宿線からの球場臨は8両3ドアで運転されることが多く、4ドア10両固定が充当する姿は、まず見られない姿だったと記憶しています。
※おそらく、それゆえに10両の車両番号と急行西武球場前の表示を1枚の写真に収めたのかと思います。
※2002年頃の野球臨は、4ドア10両固定編成が充当する機会も多かった印象です。
2004年3月27日の公式戦開幕@西武ドーム
当時は、よく西武ドームに足を運んでいたものでした。
上記の臨時列車を撮影後は、西武ドームの開幕戦を観戦しています。
開幕戦ということでセレモニーなども行われていたようですので紹介します。
そして、この2004年の開幕戦では、松坂大輔投手が先発投手でした。
ラッピングされた電車を追いかけてからの、西武ドームでホンモノの松坂投手のピッチングを眺めるという、あの頃の熱意のようなものを垣間見た次第です。
(電車撮影→野球観戦→その後にまた電車撮影といった記録が残っていますが、若さしか感じません。)
営業運行に就く西武20000系のライオンズ応援電車
2004年3月27日と28日の特別運行を終えたライオンズ応援電車ですが、29日以降は一般の電車と同様に運用入りしています。
ライオンズ応援電車の走行期間(2004/3~6)は池袋線にしか所属していなかった低運101系を追っていたので、記録が池袋線に偏っています。
2004年の西武ライオンズはリーグ優勝と日本一に輝く
ライオンズ応援電車の走行の甲斐もあってでしょうか、2004年の西武ライオンズは、2年ぶり20度目のリーグ優勝と、12年ぶり12度目の日本一に輝いています。
(タイミングの悪いことに、西武鉄道の有価証券報告書虚偽記載の件で世間が騒がしくなった頃合いでもあります。)
この優勝記念レオカードについても、おぼろげな記憶ですが…
優勝が決定した試合終了後、割とすぐの発売開始だったような記憶があります。
(ナイターだったので、当日21時とか22時頃の発売開始だったでしょうか?)
当時は駅に突撃するだけで気にも留めていませんでしたが、いい大人になってしまった今、これを用意・手配する側の手間は計り知れないな…と思い返してしまいました。
その節は親切に対応していただき、誠にありがとうございました。
(おかげさまで今でも西武鉄道と埼玉西武ライオンズと松坂投手のファンでいることが出来ています。)
松坂大輔投手、お疲れさまです、ありがとうございました
以上、いつもとは少々テイストの違う具合で記事にしてみました。
2004年当時の西武電車と松坂大輔投手が、見事に記憶と記録で折り重なり、このように自身のブログで紹介することが出来たのは嬉しい限りです。
長年、西武線沿線に住み、青の野球帽をかぶって友の会に入会したあの時を思い出してしまいます。
最後の会見では「心が折れた、今まではエネルギーに変えられたものが、はね返す力がもうなかった」と語った松坂大輔投手。
10代から第一線で活躍する偉大な選手も、大好きなもので心が折れる時が来てしまうのだと、他人事とは思えず耳に残ったフレーズです。
その活躍を眺めるしかなかった自分と少し重なった胸の内、恐れ多い共鳴を覚えつつ、大きく緩やかに見えてしまう時間の流れを感じました。
松坂大輔投手、お疲れさまでした、たくさんの熱い思いをもらいました。
誠にありがとうございました。
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