E33-E34ペアによる、フル編成の工臨が運転されました。
西武鉄道にける晩年の工臨の運転は、
横瀬車両基地での貨車検査にともなう運転の他、
新宿線の始発点となる玉川上水までの運転から
新所沢工臨・上石神井工臨に繋がるパターンと、
1804レで山下り後の武蔵丘からは、
保谷工臨・小手指工臨に繋がるパターンが多くみられました。
この記事で紹介する工臨は、ダイヤ上、2日に分けてとなりますが、
横瀬から玉川上水まで運転されています。
上述した上石神井工臨の運転に備えてのものでした。
玉川上水からはE31-E32ペアによるフル編成工臨も運転されており、
カマと貨車の交換を一度に行ったような運転となりました。
順を追って紹介します。
2007/1/24~25 E34-E33 PPフル編成工臨
1/24 1804レ(横瀬→武蔵丘)
横瀬での4番入れ換え前。
4番への入れ替えは17:30過ぎから行われ、出発の30分前ほどには
入れ換えが完了していることが殆どでした。
出発前における編成の組成は、横瀬車両基地内で
15時頃に行われていたのを覚えています。
(日によってまちまちでした)
11番→10番→4番、おなじみの入れ替えを終え、横瀬発車。
入れ換え後は30分ほど待ち時間があるので、乗務員さんも駅本屋に一旦引き上げていました。
夏場の1804レは芦ヶ久保までであれば、走行写真も可能な時間帯です。
芦ヶ久保に停車するフル編成工臨。
標識灯も点灯して非常にサマになっている姿です。
フル編成にフル点灯、今見返してみても非常にかっこいい姿です。
吾野でも長い停車がありました。
この後、1804レは武蔵丘に入庫となり本日の運転は終了となります。
基本的に1804レ運転の際は、その後に延長してどこかまで行くということは
無かったように記憶しています。
1/25 1802レ(武蔵丘→所沢)
昨晩、1804レで運転された編成がそのまま武蔵丘を出庫しました。
飯能到着は10:10頃。
最晩年となる時期ですが、この1802レが運転されるのは
おそらく、2008年4月頃までだったと記憶しています。
そもそも新宿線での貨車付きの工臨運転が、この2007年で終わっているので
新宿線に向かう1802レの存在そのものが不要になっています。
貨車の付いた工臨の運転は2008年頃を境に無くなりましたが、
車両基地公開イベントなどでは三重連で運転されたり、
他社譲渡への車両を西武線内で牽引したりと
たびたび新宿線に入ることはありました。
しかし、そのどれもが時間はバラバラであり、
その頃には1802レ~1803レ自体、存在が消滅しています。
近年では、地下鉄直通の快急に
1800番台の列車番号が割り振られていますが
どうしても、この赤い機関車を思い出してしまいます。
トムと繋がる側のE31形は顔がよく見えるので写真映えもします。
編成の組成は E31-ホキートムーE31という組み方の方が
後ろのカマの顔がよく見えるので好みでした。
とはいえ、E31の工臨は進行方向が、飯能・新所沢で変わるので
そこまで強く意識していたものでもありません。
1/25 1862レ(新所沢→小川)
1802レは、池袋線上り列車として武蔵丘から所沢を運転し、
所沢からは新宿線下り列車1851レとして運転されます。
昼前には新所沢へ到着し、ひと時の休憩。
午後は14時前に新所沢を1862レとして出発し、玉川上水を目指します。
1802レで武蔵丘を出庫すると、
基本的には当日そのまま玉川上水まで運転されていました。
上りと下りが頻繁に入れ替わるので、
その列車番号の変遷も、非常に慌ただしいように読み取れます。
◇
1802レ 武蔵丘→所沢(池袋線上り)
1851レ 所沢→新所沢(新宿線下り)
1862レ 新所沢→小川(新宿線・国分寺線上り)
1863レ 小川→玉川上水(拝島線下り)
このあと、小川駅では拝島線を跨いで側線に入ります。
小川駅での様子は、写真でしか見たことは無いのですが
本線を堂々横断する様は、非常に新鮮な姿でした。
2007/1/25 E32-E31 PPフル編成工臨
玉川上水へ到着したE33-E34のフル編成でしたが
玉川上水では、既にE31-E32によるPPフル編成が組成されていました。
画像手前に見えるのが、先ほどまでE33-E34が牽引してきた貨車で、
奥側に組成しているのがE31-E32PPによる、
玉川上水から出発する編成となります。
1/25 1864レ(玉川上水→小川)
そして、この日は1864レもフル編成で運転されました。
朝から晩にかけて、一日中フル編成の工臨が運転されていたことになります。
この後は、新所沢まで運転されて、
21時頃には1803レで武蔵丘まで運転となるはずですが
流石に記録はここで途絶えてしまいました。
前日の1804レから、ほぼ丸一日、
E31形のフル編成を眺めていられる、ぜいたくな2日間の記憶でした。