西武多摩湖線で運用されていた225Fの姿を紹介します。
西武鉄道101系電車は、1969年(昭和44)年に登場した電車で、
101系(低運転台車)と新101系(高運転台車)に大別されます。
101系低運転台車(低運車)の本線運用は、2004年12月限りで終えており
その後は、多摩湖線と多摩川線において4両×5編成の20両が
ワンマン対応編成として最後の活躍を続けていました。
- 2004年12月までの101系低運車配置一覧
- 池袋線…193F・197F(ワンマン非対応、本線運用)
- 新宿線…175F・191F(ワンマン非対応、本線運用)
- 多摩湖線…225F(ワンマン対応)
- 多摩川線…217F・219F・221F・223F(ワンマン対応)
- 2005年1月以降の101系低運車配置一覧
- 多摩湖線…225F(ワンマン対応)
- 多摩川線…217F・219F・221F・223F(ワンマン対応)
この時期は、中央線高架化工事(武蔵境駅での連絡線使用不可)の為
多摩湖線の車両と多摩川線の車両を定期的に入れ替える事が出来ず
2003年3月の輸送(223F多摩川線へ、225F多摩湖線へ)を最後に休止しており、
2010年3月の輸送(247F多摩川線へ、217F廃車の為本線へ)の再開まで
両線で稼働する編成は固定されたままでした。
2010年以降、247F・249F・251F・253Fのワンマン化改造により
多摩川線の101系低運車4編成は順次廃車となり、置き換えられることになります。
多摩川線に残る4編成より一足早い2008年2月、
225Fは引退することになりました。
225Fの廃車により、多摩湖線の編成数はマイナス1となりますが、
約2か月後の2008年3月には263Fが武蔵丘を出場(編成組み換え・改番)しており
多摩湖線のマイナス1編成の穴を埋めています。
263Fについては下記リンクからどうぞ。
西武多摩湖線の225Fその1【新宿線系統最後の101系低運車】
萩山付近での西武101系225F
当時の多摩湖線は、多摩湖北線との直通は一部時間帯に限られており
基本的には、国分寺~萩山と、西武遊園地~小平の運行となっており
分断されていました。
(一部の運行は直通有り)
写真は電留線から萩山駅に据え付けられて
国分寺行きとなる直前の姿となります。
萩山駅前の歩道橋より、各所を眺めます。
踏切脇の商店については、以前は蕎麦屋が入居していたと思いますが
いつのまにか薬局になっていました。
駅前ロータリーについても
今とはずいぶん雰囲気が違います。
現在では1番ホーム向かい側にコインパーキングが整備されており
このパーキングには度々お世話になっている次第です。
国分寺付近での西武101系225F
小学校前の歩道橋から多摩湖線を眺めます。
画面左奥に進むと、国分寺駅となります。
多摩湖線国分寺駅付近の様子です。
2020年となった現在も、特に雰囲気に違いは無さそうです。
とはいえ、国分寺駅にホームドアが整備されれば
鉄道の情景は、一気に様変わりすることになるのでしょう。
車内から見た西武101系225F
225Fのクハ1226より前面展望をしてみます。
筆者自身の世代ですと、幼少期に701系や401系が引退しており
前展望のしやすい電車といえば、101系でした。
見通しが良く、手すりの位置も低い101系低運転台車は
唯一無二の存在といっても過言ではなく
「電車に興味を持つ」段階で、一つのきっかけとなっていたようにも思います。
昔の思い出話として、場面は変わりますが…
夕暮れの新所沢行きで前展望をしていたところ、
運転士さんが「ごめんね、閉めるよ」のジェスチャーをしながら
遮光幕を閉めたのが、それが何故か今でも記憶にある思い出となっています。
夜の萩山での西武101系225F
時間を変えて夜の萩山にて。
当時のこの時間帯は、一部のワンマン車は小平まで顔を出す運用に入りますが
この日の225Fは萩山と国分寺を往復する運用だったようです。
短い区間を短時間で往復する姿は
ASカー(All round Service Car)という称号そのものを
正に体現していると思えるものでした。
西武多摩湖線の225Fその1【新宿線系統最後の101系低運車】のまとめ
- 101系低運転台車である225Fは、最晩年は西武多摩湖線で運用された
- 引退は2008年2月、30000系デビューの直前まで営業運行についていた
- 西武多摩湖線で活躍する101系低運転台車225Fの、普段の姿を紹介した